【J003】高田公園のはす

【J003】高田公園のはす

高田藩が戊辰戦争と大凶作による財政難に苦しんでいた1871年に、それを打開しようと戸野目の大地主である保阪貞吉が高田城外堀に「れんこん」を植えたのがその始まりです。
外堀の約19ヘクタールをはすが埋め尽くしています。種類は和蓮で、ほとんどが紅蓮ですが、部分的に白蓮も交じっています。1953年、はすの研究で知られる故・大賀一郎博士が訪れた際、「はす池の規模の大きいことは世界でもまれで、特に紅白入り交じっているのは珍しい」と激賞し、それを聞いた市民が“東洋一”と語り伝えて現在に至ります。